二日目@東日本大震災 復興支援ボランティアツアー(岩手・釜石) [東北]
2011年5月30日 9:17 岩手県釜石市
昨日は雨が降ったり止んだりでしたが、この日は弱い雨がずっと降り続いています。二日間、合羽のせいで汗がすごく出ましたが、粉塵が出なかったので作業は順調に進みました。
2日目の作業は釜石市の中でも特に被害の酷かった「鵜住居~うのすまい~」という地域に行きました。
バスの中から見える風景は・・・みんな声もでません。
見渡す限りすべて廃墟です。
ここからは、かなりショックな画像が続きます。
JR山田線は地震後全線不通になっていましたが、現在は盛岡-宮古間のみ復旧しており、宮古-釜石間はバスによる振替輸送を行っています。
鵜住居は見渡す限り廃墟になっていました。
この市営住宅?は3階部分まで被災していました。
移動車を使用したファミリーマートの店舗がありました。
少しずつですが街は息をし始めていて、少しだけホッとしました。
道沿いの住居は、ほとんど被災し破壊されています。
残っていたのは鉄筋住宅のみです。
お昼休憩時に少し歩いてみました。
見渡す限り荒地が・・・
ここにはどれだけの家が、生活があったのでしょうか?
崩れ落ちたJR山田線の線路の向こうは川。
川に沿って遡った津波が被害を広げたのです。
線路まで歩いていきました。
鉄の線路が飴細工のように曲がっています。
線路を越えてきた津波は、すべてを押し流しました
もう、三ヶ月近く経つのにまったく復興が進まず取り残されたまま・・・
JRも線路の復旧に手をつけていませんし、この様に震災直後のまま手付かずの場所はまだまだ多いのでしょう。
復興のスタートラインにも付いていない地域はどれほどあるのだろう
暮らしの痕跡があたり一面に散らばっています。
片付けのお手伝いした住居の隣に崩れた二階がありましたが、これはお隣ではなく、どこからか流れ着いたそうです。
バスは被災したホームセンターの駐車場にとめています。
店内も酷い有様です。
この日の作業は床下の泥だし・掃除、お庭に流れ着いた瓦礫の撤去など、30名で一日かけても終わりませんでした。同行したボランティアリーダーは明後日の再訪を約束されていました。
実は三日目、翌31日は台風の影響で三陸全部のボランティアセンターが休みと夕方には決定が出ました。
私たちのボランティア活動もこの日で終了することになったのです。
昨日は雨が降ったり止んだりでしたが、この日は弱い雨がずっと降り続いています。二日間、合羽のせいで汗がすごく出ましたが、粉塵が出なかったので作業は順調に進みました。
2日目の作業は釜石市の中でも特に被害の酷かった「鵜住居~うのすまい~」という地域に行きました。
バスの中から見える風景は・・・みんな声もでません。
見渡す限りすべて廃墟です。
ここからは、かなりショックな画像が続きます。
JR山田線は地震後全線不通になっていましたが、現在は盛岡-宮古間のみ復旧しており、宮古-釜石間はバスによる振替輸送を行っています。
鵜住居は見渡す限り廃墟になっていました。
この市営住宅?は3階部分まで被災していました。
移動車を使用したファミリーマートの店舗がありました。
少しずつですが街は息をし始めていて、少しだけホッとしました。
道沿いの住居は、ほとんど被災し破壊されています。
残っていたのは鉄筋住宅のみです。
お昼休憩時に少し歩いてみました。
見渡す限り荒地が・・・
ここにはどれだけの家が、生活があったのでしょうか?
崩れ落ちたJR山田線の線路の向こうは川。
川に沿って遡った津波が被害を広げたのです。
線路まで歩いていきました。
鉄の線路が飴細工のように曲がっています。
線路を越えてきた津波は、すべてを押し流しました
もう、三ヶ月近く経つのにまったく復興が進まず取り残されたまま・・・
JRも線路の復旧に手をつけていませんし、この様に震災直後のまま手付かずの場所はまだまだ多いのでしょう。
復興のスタートラインにも付いていない地域はどれほどあるのだろう
暮らしの痕跡があたり一面に散らばっています。
片付けのお手伝いした住居の隣に崩れた二階がありましたが、これはお隣ではなく、どこからか流れ着いたそうです。
バスは被災したホームセンターの駐車場にとめています。
店内も酷い有様です。
この日の作業は床下の泥だし・掃除、お庭に流れ着いた瓦礫の撤去など、30名で一日かけても終わりませんでした。同行したボランティアリーダーは明後日の再訪を約束されていました。
実は三日目、翌31日は台風の影響で三陸全部のボランティアセンターが休みと夕方には決定が出ました。
私たちのボランティア活動もこの日で終了することになったのです。
ひんまがった線路が、ものすごさを表してますね・・・。
これってどうすれば復旧できるんだろうか、
と考えてしまいますわ・・・・。
by よーちゃん (2011-06-03 12:29)
むごいですね。
こちらの浜も同じ状況です。
ボランティア、お疲れさまでした。
そしてありがとうございました。
by kotobukimaru (2011-06-03 16:32)
言葉もありませんね・・・写真を見るのが辛いです。
by rtfk (2011-06-03 17:37)
お疲れ様でした。
by ken_jp (2011-06-04 09:47)
へろーめさん、本当にお疲れ様でした。
この記事の写真だけを見て、これだけの深いショック…
では生で見て来た、へろーめさん初めボランティアのメンバーのお気持ち…計り知れないですね。
復興なんてまだ先の話の様に感じます。
管さんテレビ出てる場合じゃないだろう。。。
by mayu (2011-06-04 11:18)
山田線、南リアス、北リアスとともに海岸線沿いの旅でゴトゴトと
乗ったんですが線路がこの状態では暫くの間は一部復旧で
いたし方ないのでしょうね。
茨城からの海岸線沿いの鉄旅、本当に素敵な景色なんですよね。
復旧の暁には千葉から北上して鉄旅したいと思います。。
by うつぼ (2011-06-04 21:38)
この瓦礫が片付く日が来るの?って思っちゃうほどの状態ですね。どうすればいいんだろう。
そう言いつつもボランティアにも行けない自分にもがっかりするし。
う~ん。。
by lovin (2011-06-05 08:45)
写真で見てもすごいのに現地で見たら、息が止まりますね。この風景は。それにしてもご苦労様でした。
by Morimo (2011-06-05 16:29)
ボランティアご苦労様でした!
by yasu (2011-06-05 19:05)
ボランティアシリーズ、色々と考えながら拝見させていただきました。本当に何と言っていいのか言葉が出ません。一刻も早い復興のために、永田町あたりで内輪もめしていないで、この現状を解決する手を動かしてほしいものです。
by 青沢東(QMY) (2011-06-07 00:02)
はじめまして(^^)ボランティアでお世話になった者です。今回は本当に感謝してもしきれくれないくらいお世話になりました。あの後、母親や叔母とずっと本当に助かったね!!って話をずっとしていました。父親も立ち会うことはできませんでしたが、後日みなさんが片付けてくれたところを見て感謝していました。自分は今、仙台にいて資格試験の勉強をしている最中ですが、何としても合格してあの家でまた暮らしたいと思っています。いつか釜石にまたいらっしゃる機会がありましたら是非お寄りください(^^)今回は何もできなかったので今度はきちんとおもてなしをしたいと思っています。この場を借りてお礼を言わせてください。本当にありがとうございました。そしてお疲れ様でした。
長文失礼しました(><)
by chino (2011-06-17 18:15)