三日目 陸前高田へ@東日本大震災 復興支援ボランティアツアー(岩手) [東北]
2011年5月30日 10:47
幸迎館を10時に出発したバスは、通い慣れた道を走ります。
27日22日に新宿を出発してから、ずっと足となってくれたバスとも,もうじきお別れです。長時間の移動は疲れましたが、このバスが無ければツアーは催行できませんでした。
2011年5月30日 10:43 東和町
最初に立ち寄ったのは、「道の駅 とうわ」温浴施設を併設しており、本来は三日目の作業終了後にお風呂に入る予定でした。
三日目のボランティア作業が中止になったことでスケジュールが変更になり、陸前高田の被害状況を見た後に平泉を観光し、仙台で夕食を摂り、予定通り翌日早朝に新宿着となりました。
状況が変わりましたので、行程中の東和・一関・仙台で離団できることになり、まず一名が離団します。
社会人の参加者は早朝着の新宿から直接出社予定の方もいるので、ボランティアがなければ早めに帰る方が楽ですからね。
高村光太郎、新渡戸稲造を差し置いて一番上に来ている萬鉄五郎?
「まんてつ ごろう」さんかと思ったら「よろず てつごろう」さんなのね。
芸術家らしいのですが、全然知りませんでしたw
JR釜石線、花巻と釜石を結ぶ単線のローカル鉄道
こういった石造りの陸橋もあり、一度ゆっくり巡り歩きたいと思いました。
遠野を過ぎた頃、道を右にそれて釜石ではなく大船渡を目指します。
ちょうど、その頃から雨が降り始め、海に近づくにつれ雨風がひどくなり、大船渡に着く頃には大雨になっていました。
大船渡も釜石と同じく平穏な街並みが突然切れて、津波によって荒れ果てた町へと変わります。私たちはバスで通過するだけですが、ここに住む人々の気持ちを思うと・・・
でも、釜石も大船渡もまだ良い状況だったのです。
2011年5月30日 13:01 陸前高田
陸前高田市に到着した頃には強い雨風が吹き荒れています。
そして、私たちの前には信じられない光景が・・・
ここから先はショッキングな映像があります。
街はありません。人々の暮らしはありません。
すべて津波に奪いつくされ見渡す限り、すべてが廃墟・・・
この町は変わったのではなく、失くなったのです。
四階まで浸水している集合住宅
駅があった辺りも、何も・・・線路すらありません。
雨のせいか、地盤沈下のせいか、水面が広がる場所も
台風の影響で作業をする人もなく、「命」を感じる光景もありません。
ここに確かにあった生活は、津波によってすべて奪われたのです。
バスの中は、声もありません。皆、息を飲んで見つめています。
震災後二ヶ月以上たっていても、この光景です・・・
復旧?復興?いや、ココには新しい街作りが必要でしょう。
そして、街並みを離れひとつ峠を越えて、ホッと一息ついた後
また息を飲むことに
川を遡った津波が海から離れた集落を飲み込んでいました。
私が見てきた、被災地の状況は以上です。自然の猛威の前には人の力などちっぽけなものなのだと思い知らされました。
広範囲に広がる被害のため、復興・ボランティアの力も分散されてしまいます。今回の震災の復興には数年単位の時間が必要でしょう。
でも、人は忘れてしまいます。マスコミもすでに違う方向を見始めました。
そして、何より自分自身が忘れてしまいます。被災地を見たショックを・・・何かしたいと思ったことを・・・だから、忘れないように発信していくことが、現在の私に出来る精一杯のことだと信じて少しずつでも書き続けたいと思っています。
幸迎館を10時に出発したバスは、通い慣れた道を走ります。
27日22日に新宿を出発してから、ずっと足となってくれたバスとも,もうじきお別れです。長時間の移動は疲れましたが、このバスが無ければツアーは催行できませんでした。
2011年5月30日 10:43 東和町
最初に立ち寄ったのは、「道の駅 とうわ」温浴施設を併設しており、本来は三日目の作業終了後にお風呂に入る予定でした。
三日目のボランティア作業が中止になったことでスケジュールが変更になり、陸前高田の被害状況を見た後に平泉を観光し、仙台で夕食を摂り、予定通り翌日早朝に新宿着となりました。
状況が変わりましたので、行程中の東和・一関・仙台で離団できることになり、まず一名が離団します。
社会人の参加者は早朝着の新宿から直接出社予定の方もいるので、ボランティアがなければ早めに帰る方が楽ですからね。
高村光太郎、新渡戸稲造を差し置いて一番上に来ている萬鉄五郎?
「まんてつ ごろう」さんかと思ったら「よろず てつごろう」さんなのね。
芸術家らしいのですが、全然知りませんでしたw
JR釜石線、花巻と釜石を結ぶ単線のローカル鉄道
こういった石造りの陸橋もあり、一度ゆっくり巡り歩きたいと思いました。
遠野を過ぎた頃、道を右にそれて釜石ではなく大船渡を目指します。
ちょうど、その頃から雨が降り始め、海に近づくにつれ雨風がひどくなり、大船渡に着く頃には大雨になっていました。
大船渡も釜石と同じく平穏な街並みが突然切れて、津波によって荒れ果てた町へと変わります。私たちはバスで通過するだけですが、ここに住む人々の気持ちを思うと・・・
でも、釜石も大船渡もまだ良い状況だったのです。
2011年5月30日 13:01 陸前高田
陸前高田市に到着した頃には強い雨風が吹き荒れています。
そして、私たちの前には信じられない光景が・・・
ここから先はショッキングな映像があります。
街はありません。人々の暮らしはありません。
すべて津波に奪いつくされ見渡す限り、すべてが廃墟・・・
この町は変わったのではなく、失くなったのです。
四階まで浸水している集合住宅
駅があった辺りも、何も・・・線路すらありません。
雨のせいか、地盤沈下のせいか、水面が広がる場所も
台風の影響で作業をする人もなく、「命」を感じる光景もありません。
ここに確かにあった生活は、津波によってすべて奪われたのです。
バスの中は、声もありません。皆、息を飲んで見つめています。
震災後二ヶ月以上たっていても、この光景です・・・
復旧?復興?いや、ココには新しい街作りが必要でしょう。
そして、街並みを離れひとつ峠を越えて、ホッと一息ついた後
また息を飲むことに
川を遡った津波が海から離れた集落を飲み込んでいました。
私が見てきた、被災地の状況は以上です。自然の猛威の前には人の力などちっぽけなものなのだと思い知らされました。
広範囲に広がる被害のため、復興・ボランティアの力も分散されてしまいます。今回の震災の復興には数年単位の時間が必要でしょう。
でも、人は忘れてしまいます。マスコミもすでに違う方向を見始めました。
そして、何より自分自身が忘れてしまいます。被災地を見たショックを・・・何かしたいと思ったことを・・・だから、忘れないように発信していくことが、現在の私に出来る精一杯のことだと信じて少しずつでも書き続けたいと思っています。
へろーめさん、お疲れ様でした。
凄く最近の事の様に思えたり昔の事の様に思えたり勝手デスネ、マスコミがあれだけ言ってたのに今は違う所を向いてる様な…
私達も忘れてはいけませんね。
今この記事を拝見して思い知らされた様な気がします。
きっと車中から見た光景はもっとショックだったでしょうね。
へろーめさん、本当にお疲れ様でした。
by mayu (2011-06-30 17:51)
お疲れさまでした。
テレビで見るのとはまた違った印象を持ちます。
それはこういうところで多少とも存じ上げている人の目が
実際に見てきた映像として私が受け止めるからでしょう。。。
静止画ですがニュースの動画より網膜に焼きつきました。
by rtfk (2011-06-30 18:10)
陸前高田は10年前くらいに電車旅で立ち寄った思い出が
あります。。あのときの風景と、へろーめさんが今回
観た風景、、同じ場所とは思えません。
まだボランティアが足りないという話を聞くにつれ
自分に出来ることはないかと考えたりしています。
お疲れ様でございました。。。
by うつぼ (2011-06-30 20:45)
ご訪問ありがとうございます。
今まで普通に通っていたり、遊びに行った事がある場所が
一瞬にしてなくなってしまう、とてもショッキングなことです。
ただただ、早い復興を願うばかりです。
これからもよろしくお願いいたします。
by 美美 (2011-06-30 22:59)
お疲れさまでした。
被災する前の生活が想像できること、確かに人が生きていた形跡があるということがわかること。
でも、何もなくなり、本当にそこで人が生きていたのかどうか、想像がつきがたい場所もある程、悲惨な状況もあること。
どちらを向いても、"今"がないように思えて、立ちすくんでしまいそうです。
この記事を読ませていただき、私にも出来ることをもう一歩進んで考えていきたいと思いました。
震災の日のことを、私はまだブログに書けずにいます。
本当に、お疲れさまでした。
by あつこ (2011-06-30 23:17)
へろーめ様、おつかれさまでした。
私は大学時代の後輩を陸前高田で亡くしました。震災から2週間くらい経ってから聞いたんですが、あの日から震災の意味が少しだけ変わったような気がしています。
自営業&カツカツの生活で満足なお弔いもボランティアもできずにいます。まことに情けない話です。
へろーめ様のボランティアで陸前高田の現状も知る事ができました。、
本当におつかれさまです。そしてありがとうございました。
by 大林 森 (2011-06-30 23:52)
こんばんは。
うちのほうも被災地で津波も来ましたが、なんとか普通の生活に戻れています。
今回ほど、東日本の私たちが天災の怖さを思い知らされたことはなかったですね。
ボランティア、お疲れ様でした。
by niki (2011-07-01 00:30)
お疲れ様です・・・
被災地、、、ホント何もなくなってしまってますね。。。
何か、、戦争にでも巻き込まれたかのような写真・・・
津波の映像も、、自然の怖さを思いしらされました、、、
CGを見てるかのような、、、でも現実に起きた事ですもんね。。
現地の方。土地が、
早く元気な日がこれるように願っております、、
本当に、、お疲れ様でした。。。
by ぷりん&りく (2011-07-01 02:45)
知り合いのメディカルチーム(D-MATという災害時の派遣チームだそうです)のスタッフも翌日派遣されていきましたが、ベテランスタッフですらショックでメンタルに変調を来たしてしまったそうです。
ボランティアで現地入りする方のメンタルサポートも重要な課題のようです。
本当にお疲れ様でした。
by punchiti (2011-07-01 07:49)
ボランティアお疲れ様でした。
マスコミでの報道が少しずつ減ってきているような気がするこの頃、気持ちが改められました。
by ベアトラック (2011-07-01 10:19)
へろーめさん、お疲れ様です。そして、有難う御座います
m(__)m
by wakame (2011-07-02 06:05)
お疲れ様です。本当に。
by 38410415 (2011-07-03 04:00)
忘れないように、意識して忘れないようにしないとダメですね。
お疲れ様です。
by lovin (2011-07-03 10:22)
また行かれていたんですね。
私がちょっとご無沙汰している間に・・・
ご苦労様でした。
へろーめさんの心のケアは大丈夫ですか?
私は実際に震災を経験していませんが、
心のケア講座を受けました。
福岡の人々も相当ショックで不調なかたが多かったです。
by Roche (2011-07-03 23:02)